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  • 執筆者の写真乙訓もも

今年度最後のひきこもりに関する学習会、無事終了。

今日はひきこもりに関する学習会第6回を開催しました。
























今年度、コロナ禍により年度当初はすべて開催できるか不安でしたが、

感染症対策を行った上で今日の最終回を迎えることができました。


その栄えある最終回は「乙訓ももの部屋」と題し、

乙訓もものOBに参加いただき、職員がインタビュー形式で話を伺い、

その後参加者の方々と話をする座談会のような形を取らせていただきました。



冒頭に参加者の皆さんにお話ししたのですが、

作られた言葉ではなく、生の言葉を聞いていただきたかったので、

ざっくりした打ち合わせはしましたが、シナリオなしのノープランで行いました。


参加いただいた方は当事者のご家族や支援者はもちろん、

ひきこもり支援に関心を持たれている地域にお住まいの方もおられ、

経験者の話を聞けるということで予定を上回る申し込みがあり、

会場を急遽少し大きなところに変更したため、

このような調理実習室になってしまいました。














結果的になかなかシュールな学習会になりましたかね。




学習会はまず参加してくれたOBと職員との関係性を話し、

ひきこもった経緯や乙訓ももをなぜ利用しようと考えたのか、

利用してどうだったか、そして働くようになった今はどうなのか?

などなど、職員から質問しそれに対し赤裸々に語っていただきました。



今日一番印象に残った言葉は

ひきこもりから完全に脱したとは感じてないというものでした。


彼は働いていて、趣味にも取り組んでいるのにです・・・





















ひきこもっている時もしんどい。

ひきこもりをやめようと外へ出続けているのも人との関わりの中でしんどさが生まれる。


ベクトルや質が違うだけで両方ともしんどい。

同年代の人と比較して自立できてない自分がいる。


だからひきこもりから完全に脱したとは感じてないと・・・


今日の学習会で見えてきたものは、

ひきこもりから脱したかというのは本人がどう感じているかによるということ。


そして他者と「比較する」ことでしんどさが生まれるということ。


その「比較する」というのは、この年齢になったらこうあるべきだ、

こうなっていて当たり前だ。それが普通の状態だ。という社会が生んだ何の根拠もない

「普通の姿」という亡霊だということ。



この「普通の姿」にひきこもり状態にある方はしんどさを感じているんですね。












ひきこもっている時もしんどい。

ひきこもりをやめようと外へ出続けているのも、

人との関わりの中でしんどさが生まれる。


ならば外に出てしんどい思いをする方を選び続けている乙訓もものOB。


彼の言葉は参加された方々にどのように伝わったでしょうか・・・



そして出会った人、支援のタイミングの重要性も話してくれました。


ひきこもり状態にある方とも一期一会ですね。


今日の学習会は2時間の開催でしたが、とてもここにすべてを書ききれるわけはなく、

しかしながら生の言葉によって気づきの多い時間になったように感じています。


参加いただいた方々からもいろんな言葉をいただくことができ、

会が終了してからもみなでしばらく話し込んでいましたね。




お越しくださった皆様、ありがとうございました。

これからもどうぞ力をお貸しください。



そしてHくん、お疲れ様。

生の言葉をありがとう。






今年度最後のひきこもりに関する学習会。

無事終了です。










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